監督 横田丈実 撮影 横山健二 音楽 島田篤
録音/横田敬子
宣伝美術/西原楓 サトリデザイン
劇中写真集/秋山亮二「なら」
出演/清水順子 中野満代 池元秀次 池元幸子 安村弘 横田兼章 他
2023年/デジタル撮影/16:9/カラー/ステレオ/上映時間52分
ともに生きて、
ともに亡くなってゆく。
肩を寄せあって
暮らす人たちを見つめた
お坊さん監督による
静かなドキュメンタリー。
はじめに
Introduction
奈良県斑鳩町。いかるがの里と呼ばれる日本のふるさと。横田監督はこの町で生まれ、この町で育ち、この町で映画を撮り続けてきました。横田監督の日々の暮らしは衣姿で檀家さんを訪ねること。そうなんです、監督の本職は「お坊さん」なんです。近年は遺影写真やグリーフケアなどお坊さん監督ならではの題材が増えてきました。『肩を寄せあって』は17本目の作品、その集大成となります。
作品の起こりは1999年の早春。お寺のとなりに丸太が組まれテントが建てられました。何だかサーカス小屋のような不思議な雰囲気。そこで映画上映会が催されました。観客はお寺の周りに住む男女。平均年齢70歳そこそこ。田んぼ仕事に旅行にと仲よき20人でした。
2019年。上映会から20年が経ちました。あの時テントに集まった人たちがどうされているのか?横田監督は撮影隊とともに訪ね歩くことにしました。すでに亡くなられた人、まだお元気な人。大切な思い出が交錯します。横田監督のお父さんもテントに集ったひとり。昭和6年生まれ。戦後を逞しく生きた人生。しかし撮影時は肺を患って入院中。最期のときを迎えようとしていました。
小さな町で肩を寄せあって暮らす人たち。ともに生きて、ともに亡くなってゆく人たち。そんな「生死の物語」は観る者に不思議な安らぎを与えてくれます。まさしくお坊さん監督ならではの映画の誕生です。
上映会場で撮られた
1枚の記念写真
肩を寄せあった人たちの
それぞれの人生
それぞれの「今」を
撮影隊は訪ねました。
出演者マップ
Cast
清水瀬治郎さん
10代で国鉄に入社、50代の定年まで機関士ひとすじ、いわゆる「ぽっぽや」として過ごされました。その几帳面さは田植えにも。稲が真っすぐに揃わないとガマンならん!娘さんの思い出話が微笑みを誘います。
池元アサノさん
現役時代の息子さんは転勤族。アサノさんはたまの帰郷を待ちわびていました。その時が来たらいそいそと美容院に。パーマをあてられたそうです。お母ちゃんの切ない思いですね。
安村弘さん
昭和8年生まれ。映画の中では颯爽と自転車で登場。斑鳩の風景を疾走されます。横田監督と焼き芋を食べるシーンは屈指の名場面。ほのぼの感がたまりません。監督のお父さんとは幼馴染み、兄弟以上の付き合いでした。
横田兼章さん
横田監督のお父さん。20代でビルマにて修行、帰国後NHKに入社、その後住職として邁進。昭和ひとケタ世代ならではの激しい人生。撮影時は誤嚥性肺炎を発症、入院中でした。
監督インタビュー
Interview
———「肩を寄せあって」は奈良県斑鳩町が舞台ですね。
横田監督:
斑鳩町は「いかるがの里」と呼ばれる懐かしい風景が残る地域です。法隆寺を中心とした観光地ですが、どちらかというと静かで穏やかな場所、本作にもそんな空気が流れていると思います。
———横田監督はそちらで「お坊さん」をされているんですね。
横田監督:
はい、斑鳩にある浄念寺というお寺に生まれ、ずっとそこで僧侶として暮らしてきました。現在は住職を務めています。などと言うと堅苦しいですね。地元密着、皆さんとの交流が仕事ですね。
———映画製作は大学時代から?
横田監督:
龍谷大学在学中に映画研究部に入り、映画製作を始めました。二十歳の時に作った『その夏の、どん』が初めての作品となりました。8ミリフィルムの時代ですね。卒業後も製作を続けて、今回の作品が17本目になります。
———1999年の上映会とは?
横田監督:
1999年に『火のように』という作品の撮影をしました。映画の場面として映画上映会が必要となりました。お寺の隣にテントを建て観客皆さんに集まって頂いたんです。その時来られたのが近くに住む村人20名でした。平均年齢は70歳そこそこ。普段から田植え仕事や旅行にと仲良くされている方々でした。上映したのは私の作品『極楽寺、燃えた』でした。こちらもドキュメンタリー。出演者もまた近くの村人たち。なので上映中は「ああ、あの人や」「この人や」「もう亡くなってはる」「この前会うた」と口々にスクリーンに向かって話されて、わいわいがやがや、時にしんみりと、夢のようなひとときとなりました。
———2019年に「肩を寄せあって」の撮影が始まります。
横田監督:
はい、上映会から20年の月日が流れていました。あの時に参加された皆さんのその後を撮ることにしたんです。まずは4名を対象としました。亡くなられていた方はご家族にお話しを伺いました。遺された方の思い出も大切にしたかったんです。
———ご家族の楽し気な様子が印象的でした。
横田監督:
そうなんです、皆さん貴重なお話しをして下さいまして。家族を亡くすのは悲しいことです。つらいことです。だけど完全に離ればなれになったわけではないんですよね。心の中ではいつも一緒におられる。撮影を通して実感しました。
———監督自身のお父さんもご出演されていますね。
横田監督:
父も上映会に参加したひとり。撮影時は病院にて闘病中でした。前の年より体調を崩して入院中でした。実は当初の撮影プランは完成したものと違っていたんです。家族としては父が退院してくるのを望んでいました。私も当然そうなると思っていました。入院中の父を撮影して、退院後のリハビリを撮って、季節が冬から春に巡って、満開の桜。そんな流れを頭に描いていたのですが。結果は容体が変わってしまって。
———作品の半ばから監督の立ち位置が変わりますね。
横田監督:
はい、前半はあくまでも聞き役。入院中の父に立ち会う辺りからは当事者に変わって行きます。とうとういわゆる「喪主」になってしまって。ドキュメンタリーは現実に添うものですが、現実に付いていくのが大変で。横山カメラマンには葬儀にまで参加してもらうことになりました。
———2019年に撮影を始められて完成したのが2023年。
横田監督:
撮影は2019年の春には一旦終えていました。そこから編集に入るまでに随分とかかってしまって。素材に向き合う心構えができなかったんだと思います。父の臨終にもカメラを向けてる訳ですし。2022年にようやく編集を始めました。それと共に追加撮影を始めまして。すでにコロナ禍、マスク姿の現場となりました。作業を進めるうちに自分自身でナレーションをするべきだという考えに至りました。そのほうが自然だろうって。滑舌が悪くて申し訳ないのですが。
———『肩を寄せあって』のタイトルに込められた思いは?
横田監督:
20年前の上映会、1枚の記念写真が残りました。皆さん肩を寄せあっておられます。「共生」という言葉がありますよね。人が共に生きるということ。持ちつ持たれつなんて表現したりもします。尊き考えです。でも実は、これはある宗教学者の先生が著書に記されていたのですが、人は「共死」でもあるんです。共にいつかは亡くなってゆく存在でもある訳です。少し冷たく聞こえますか。だけどそこに安らぎもあると思うんです。共にいつかは亡くなってゆく、だからこそ目の前の出会いが大切に思えてくる訳ですし。『肩を寄せあって』のタイトルにはそんな2つの「共に」を込めました。
———最後に映画を観てくださる方に一言。
横田監督:
『肩を寄せあって』は決して堅苦しい作品ではありません。のんびりとした作品です。観客皆さまがそれぞれに映画と肩を寄せあって下さればうれしいです。
スタッフ紹介
Staff
監督/横田丈実
1966年に奈良県斑鳩町の浄念寺に生まれる。龍谷大学在学中より映画製作を開始。1993年に『蝸牛庵の夜』が「ぴあフィルムフェスティバル」に入選。それ以降も故郷にて僧侶として作品を発表し続けている。作風はドラマにドキュメンタリーと多岐に渡る。近作『遺影、夏空に近く』より身近な村人にカメラを向けるように。『肩を寄せあって』ではその手法を深化させた。yokotatakemi.com
撮影/横山健二
大阪芸術大学映像学科卒業。「伊丹映画祭」を中心に映画製作に携わる。監督作『手紙』が神戸国際短編映画祭にて審査員特別賞を受賞。以降も撮影編集をこなすカメラマンとして活動中。本作はデジタル一眼カメラによる動画撮影。アップを多用するのではなく「風景の中に人がいる」をコンセプトに対象を追った。
音楽/島田篤